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Author:beatrixxx
77年うまれ。広告業。ブログテーマは園芸→旅行へ。常にいちばんやりたいことをやる、をモットーに書き散らかそうかと思います。
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樹々萌ゆる

Wed.18.03.2009 7 comments
DSC04438a.jpg
ツツジ科 スノキ属 ブルーベリー“ウェイマウス”

DSC04451a.jpg
モクセイ科 オリーブ属 オリーブ“マリーレイ”


こんな春の陽気が満ちるから、ベランダの樹々も新芽を伸ばして春の太陽や風を謳歌している。樹木って、動きに乏しいので(ブルーベリーは一応紅葉したりもするんだけどね…)どうも無視しがちなんだけど、新芽は明らかに瑞々しくて若いパワーに満ちている。

はっきりいって春なんか嫌いだ。ていうか、夏以外の季節は嫌いなんだけど、春は特別嫌いだ。浮き足立ったり、新しい風が吹いたり、生ぬるい匂いがしたり、桜が満開になると狂いそうになってくる。春がおめでたく思えるのなんか、冬が長過ぎてコート着るのもタイツ履くのももう飽きた、っていうぐらいの話。

なのにベランダは速攻浮き足立っている。めんどくせぇ。全部の新芽を摘み取って燃やしてやりたい。枯れちまえ。花もどうせ散るために咲くんじゃねーよ。そんなサディズムと庇護欲の同居する都心のベランダもとい、ルーフバルコニーなのであります。植物に限らず、何かを可愛がりながら殺したくなるのは何故なんだろう?ああ、花粉症がつらい。仕事が忙しい。園芸って狂気の沙汰だよね。まじで。


DSC04418a.jpg

…しかし。桜も咲こうというのに、季節を間違えた例の秋桜は未だにガンガン咲いている。
咲き誇れ!自然に屈するな!ついでに人間にも屈するな!と投げやりなエールを贈る私。





********************************

…引き続き、80年代の沢田研二について。

迷いが固定したような表情で、それでもひたむきに歌い続けるジュリーは、しかしそれでもスーパースターを志向していた。これは沢田研二自身の生真面目な性格によるんだと思われるけど、たぶん、国民の期待を背負って新しい歌謡スターを象徴するのは自分じゃなければならない、みたいな、そんな感じがあったんじゃないかな。

でも、もちろん時代はそんなに甘くはない。やはりここでジュリーって70年代向きの阿久悠的世界が似合う人間、と思わされるのは、80年代の迷走っぷりを見ていればわかる。ロカビリースタイルでシャウトしたかと思えば(「ス・ト・リ・ッ・パー」)、かつて自らが属していたGSのパロディをやってみたり、もろULTRAVOXなニューロマンティックに走ってみたりとか(「六番目のユ・ウ・ウ・ツ」)、ヴィジュアル系の走りみたいな耽美派に行ったりとか、いろいろ。どれも似合ってないというか、観ててツラくなるんだよね。

まるで、「ジュリー」という前衛/コンセプチュアルアートをひとりで演じてるみたいなんだ、この頃の沢田研二は。
そんなのに、わかりやすいスーパースターを求めるお茶の間が着いてこれるわけがない。
以前紹介したDVD「怪傑ジュリーの冒険」には、そんな迷走っぷりと、ジュリーというスーパースターがいかに時代に魅入られ~(時代と寝て)~時代に捨てられるかが、本当に、残酷なまでに描かれている。

ただ、それでも音楽的に言うと、私は、80年代のジュリーって豊穣だと思う。

MIS CASTMIS CAST
(2005/03/30)
沢田研二

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全作詞作曲:井上陽水、全編曲:白井良明。音的にはもろ80年代のムーンライダースという感じ。井上陽水が、(自分では歌えない色男の歌を)ジュリーの為に嬉々として書き下ろしたらしい(小西康陽が、田島貴男に書き下ろした名曲の数々に通じる)。
これは、本当に(沢田研二ということを抜きにしても)名盤だと思う。単純に私がいちばん聴くアルバムがこれだもん。

ここでは、沢田研二はいつもの艶のある声を聴かせているけれども、たんなるひとつの要素でしかない。料理される素材でしかない。「伊達男の存在感、余韻、シルエット」みたいな。だけど、それがいいのだ。スーパースターの残像。暗いコンクリートの階段に響く色男の声。ただの記号としてのスーパー色男・ジュリーが井上陽水の歌を歌う。それって、何と贅沢なことか!

幻想を体現する媒体=ジュリーというのは、やはり適役だとしか言いようがない。曲もすべて素晴らしい。瀟酒で、スノッブで、官能的で、ゴシップとハイファッションにまみれている。「強い力で鍛えたチャイニーズ・フード」「こんなに暑さが続いているのは管区気象台のしわざ」「スーツケースにはみ出た下着で」…歌詞がまたいいんだよね。

この他、いつか機会があればじっくり紹介したいのですが、源氏物語をモチーフにした「女たちよ」というアルバムも素晴らしいの一言。和な世界にたゆたうような官能をひたひたと描いている。個人的に資生堂の“沙棗”(SASO)という香水を思い起こさせる。


…とはいえ。80年代の沢田研二が一瞬だけ阿久悠的世界に戻ってきた曲があって。「酒場でDABADA」これは、刹那的で醒めた目をした30代のジゴロ、というジュリーが致命的に美しくてフェロモンだだ漏れの一曲。ぜひyoutubeで動画を観ていただきたい。気絶します。

以上、沢田研二特集ひとまず終わり。

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7 comments
ちょっとご無沙汰してた間に、すごい勢いで植物が成長していて、びっくりしました。春なんですねー。健気だなあ。
タアサイが菜の花をつける絵は初めて見ました。前に高橋がなりの経営する野菜のレストランに行ったときに、いろんな種類の菜の花を食べさせてもらったけれど、タアサイはなかったような。
その店で一番気に入ったのはソルトリーフ(塩気のある水泡がいっぱいついてる葉っぱ)で、そういえば多肉植物っぽいかもしれません。クリスタルリーフともいうみたいで、神秘的な形状です。

沢田研二、3~4歳の頃にテレビで見た「カサブランカ・ダンディ」でやられました。70年代歌謡曲に刷り込みを受けたので、やはりその頃のジュリーが私の中では一番です。
その後のジュリーは正直見たくないという感じでしたが、一連のブログを拝読して、80年代ジュリーも改めて聞いてみたくなりました。
数年前にお会いしたご本人は、柔和で穏やかでカワイイ(という形容をジュリーに使うとは思わなかったけれど、コメディに開眼した頃で、手足の短さも含めてなんだかお茶目な感じ)の人でした。

阿久悠には、私も一度会ってみたかったです。
最近、本当に植物の成長が早く、ちょっと目を離したすきにぐんぐん伸びてるは咲いてるはで驚かせられるばかりです。
タアサイは私もこんな黄色い花だとは思ってなかったので、楽しいですね。その高橋がなりの店は私もとても気になってて前から行ってみたいと思ってました!いろんな菜の花が食べられるなんて気が利いてますね。ソルトリーフって確かアフリカかどっか暑い国の植物でしたっけ?なんで塩分を蓄えるんだろう、フシギです。植物にはおもしろいものがいっぱいありますよね。

ジュリー本人に会われたとのこと、うらやましいです!現在のジュリーはふくよかで、しかも関西弁のお茶目なおじちゃんというイメージがありますが、テレビにもっと出てくれればいいのになぁ(バラエティとかじゃなく、俳優として)と思いますよ。確かにジュリーって手足は短いし顔も大きいし、今見ると昭和のイケメンて感じですよね…キムタクが一時期かなりジュリーのイメージを引用してた気がするんですが(ウィスキーのCMとかも)、全然違います。
阿久悠は、晩年かなり厭世的というか、今の時代の歌なんかつまらない…と思っていたようですが、こんな時代だからこそ阿久節が聴きたかったな、晩年にももっと作品を残して欲しかったな、と思いますよ。
がなりの店は遠いですが、桜の季節は窓からお花見ができて楽しいですよ。
トロ箱に植わったままの野菜が八百屋のように並んでて調理法を選べたり、
常連客がマイ野菜をキープしてたり(種を植えて育ったころに食べる?)、なかなか面白いことをやってました。
珍しい野菜が食べ放題のサラダバーだけでも元が取れるって感じです。
(この1年くらい行ってないので、多少スタイルが変わったかもしれませんが)
でも、農業に新規参入するのは、やっぱり大変そうでした。

阿久悠、今のJPOPを聞いていて憤死したんでは、と思うことはよくあります。
夢とか希望みたいなうすっぺらいフレーズや、お父さんお母さんありがとうみたいな宗教臭い曲とか、もう頭が腐りそうですもん。
幸い、没後の特集番組などで再評価されて、若い人にも新鮮な驚きを与えているようなので、うれしい限りです。

でも最近耐えられないのは、WBCで一日に何十回も流れるジャーニーのセパレイトウェイズ。
あの80年代でさえダサくて小馬鹿にされていたのに、20年後にまさか王道スタイルで聴かされるとは…。
洗脳気味に流れていて、またしても頭が腐りそうです。
がなりの店、そんなに面白い試みをいろいろやってんですね!ますます行ってみたくなりました。
つーか、食品会社社員の若い女の子たちが「高橋がなりの店が~」とか喋ってる感じに違和感をぬぐい去れなかったりするわけですが…
昨今は農業ブームですし、今後この手の店は増えるでしょうが、そこまで色々と創意工夫をしてるのは少ないでしょうね。近々行ってみます。

今のJPOPは本当につまらないですよね。これは、流行モノ好きな私でも本当に聴けないです(宇多田ヒカルと椎名林檎以外)。歌謡曲の死、って、日本人の精神構造に大きな影響与えてるんじゃないかと思います。私は実は阿久悠より松本隆が好きだったりするんですが、ああいう詞も今ないですからね。
先日、友達にデビュー当時の薬師丸ひろ子の写真集を見せてもらって驚いたのが、体型といい顔といい、ものすごく可愛いんだけど言うならばフリークスの一歩手前というか、微妙なわけです。今のアイドルの選考基準だと決して選ばれなさそうな。でももちろん、ものすごく魅力的で。
タレント(女優でも歌手でも)をデビューさせる、ということに、色々な思惑だとか、プロフェッショナルなプロデュースがちゃんと機能していた時代で、だからこそハイクオリティな職業作詞家も存在しえたし、あの時代のタレントには皆オーラがあったのかな、なんて思ったりします。

ジャーニーってじつは全然知らないので何とも言えないのですが、80年代のおバカロック、みたいなのって定期的に蒸し返されてるような。当時コドモだった世代には王道的にかっこ良く見えたんでしょうかね?
薬師丸ひろ子、言われてみると確かにフリークス一歩手前ですね。
顔の造作も小さな各パーツがくしゃっと中央集権してるし、声も独特ですし、ギリギリ感ありますよね。
でも、その危うさが人目を捕えて離さないと申しましょうか、気になって仕方ない魅力というやつなんですね。
最近では堀北真希の登場時に、似たような印象を受けました。
あのコも目と目があと数ミリ寄ってたらアウトというか、火星人みたいな顔ですよね。アイドルらしからぬ暗さも気になるし。

昔は一人のタレントをもっと大事に育てていた印象はあります。
とくに薬師丸は作品に恵まれたというか、TVで使い捨てに消費されるアイドルじゃなくて、大人が鑑賞に足る角川映画で、一流の役者たちに囲まれて育った影響が大きいのでは。
(その純粋培養のせいなのかわかりませんが、玉置浩二と結婚したのにはぶっとびましたが…。まあ、でも身近にずっと角川春樹のようなクレイジーな人がいたわけで、もしかしたら狂った磁場に引き寄せられるタイプだったのかもしれません)
確かに堀北真希は危ういオーラ漂ってますね。ていうか、そういう人っていうのは定期的に出てきているんだろうけど、育てられ方=オーラの着せられ方(?)が時代によってやっぱり違うんだろうな。今だったらすぐリストカットとかする役になりそうなかんじ(笑)というか…何つーんでしょうかね。
例えば、(ちょい前で言うと)つんくのプロデュース能力とかも凄いんだと思うけど、昔とやっぱ決定的に違うのは対象との距離感ですよね。角川映画って、おっさん達の(例えば「少女」に対する)狂った妄想や欲望や幻想をファンタジックに具現化したものに見えるんですが、そういう幻想だとかが存在する余地がない時代ってのが今なんだろうな、と。
それが良いと思うわけじゃないんですが、ああいう神がかり的なプロデュースというか、狂った地場というものがそもそも現在には存在しないのが寂しいところです…

薬師丸&玉置の組み合わせには当時から「?」という感じでした。お互いにオーラのある天才だけど、ジャンルが違い過ぎというか、まったく腑に落ちるものがなく…石原真理子にはとても納得していますが(笑)。ただ、薬師丸ひろ子にとってあの結婚生活は大きなマイナス(えもすればトラウマ)だったのでは?あれがなければ今もっと幸せな感じだったんじゃないか?と余計なお世話ながらに思います。
追記。「相対性理論」が売れてるってのは、歌謡曲とか角川映画的なものに対する若い子たちの郷愁(!リアルタイムで知らないのに)だと思います。なんてったってVo.が「やくしまる えつこ」って…。その辺り、なかなか興味深いです。
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