
相変わらず写真がヘタで申し訳ないんですが、これは何かというと、多肉植物の葉挿し苗です。大きさは2〜3センチぐらい。紫色のはエケベリア属「パールフォンニュルンベルグ」、緑色のは多分グラプトセダム属の「愁麗」(秋麗)だと思うんですが。
…だと思うんですが、と書いたのは、実はこの「秋麗」と思われるものは、拾ってきた葉っぱから発根→ロゼット形成しつつある苗だからです。以前、深夜に六本木を散歩していて、六本木一丁目の某オフィスビル(実は仕事で行ったことあるんですが…泉ガーデ●タワー)の下の植え込みにいくつかの多肉植物が植えてあり(普通の草花との寄せ植えだから、過湿雨ざらしにも耐えうる丈夫な品種ばかり)落ちてた葉っぱを2枚拾ってきました(笑)。別に無理矢理毟ったんでも盗んだんでもないよ。
なんでこんなことが可能かというと、多肉植物は単に種だけではなく、葉っぱ一枚からでもクローンを形成することができるからで。葉の根元から発根し、元々の葉が蓄えている水分と養分で新しい株を形成するのです。写真でしなびたようになってるのは元々の葉。(紫色のほうは元々の葉がまだあらかた残ってますが)。この他、茎の上部を切って挿しておく方法とか(これは多肉植物に限らず、樹木における挿し木と同じですね)、根元から子株を吹いたりとか、とにかく、奴らには種以外に増殖する方法がいくつもある。
植物は自分で動けないから、虫や鳥などに受粉してもらったり種を運んだりしてもらうわけですが、それでも飽き足らずに、子孫を残す策を用意している。これは、単純に凄いと思う。人間で言ったら、指の一本から本体のクローンが生まれたり、切った生首と切られた胴体それぞれから元どおりの人間が形成されるみたいな話ですよ!そんなことが起きたら、この社会全部の価値観がひっくり返るだろうな(当たり前だ)。生も死も、恋愛もセックスも、政治も経済も、哲学も宗教もめちゃくちゃです。
人間は自由に動ける体を持っていますが、少子化が進んでるわけで、皮肉なもんですね(とかいって、そんな説教じみたこと言いたい訳でもなく、別に少子化なんて進んだって全然構わないけどね!)。
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さてこのブログ、何故か「サイレントテロ」で検索して来て下さる方が多々いらっしゃるようなんで(!)消費社会に対する人間の生き方、みたいな物語を二冊。
ご存知のように、「なんとなく〜」は1980年発売、田中康夫の大ヒット作。消費文化を謳歌してるように見えつつ、なんとなく、クリスタルに漂う大学生の物語。「ジェネレーション〜」は1991年発売、ダグラス・クープランド作。末期資本主義にうんざりし、砂漠のバンガローで暮らす3人の男女の物語。なのですが…
なんで今頃この二冊かというと、ふたつとも「クリスタル族」「X世代」とかいう世代を生み出して社会現象にまでなった(いつの時代もそんなん決めつけるのはオヤジであり、当人世代たちはうるせぇよと思ってるもんだと思いますが)ってことと、あと、本文より長くて面白い(笑)脚注がついてんのが共通してるな、と思ったんですよ。
ちょっと「なんとなく〜」が本棚の奥の奥にあって出すのが面倒なので省きますが、たとえば「ジェネレーション〜」の場合、
●精神的爆心地:原爆投下のとき、自分がいると想像する場所−しばしば、ショッピング・モール。
●地位代替:知的な、あるいはファッショナブルな意味を持つ物品を使って、単に高価なだけの物品に代替させること。「ブライアン、あなた、お兄さんのBMWにカミュの本を忘れたでしょ」
●職業スラミング:自身の技術あるいは教育程度よりずっと低い職業に就くこと。これによって、大人としての責任を回避し、同時に/あるいは自身の本来の職業で失敗する可能性を避ける。
●2+2=5主義:自分を標的としたターゲット・マーケティング戦略に、長いあいだ持ちこたえたあとで、屈してしまうこと。「ああ、わかった。おたくの間抜けなコーラを買ってやるからさ、ほっといてくれ」
…みたいな。
私はサイレントテロに対して否定も肯定もしませんが(どっちかつーと否定も肯定もしてるかな…広告屋だけど車も家も買う気ないし)、ひとつ思うのは、こういった末期資本主義に対するシニカルな態度とか、こういった表象記号遊びってのは、もしこれから本当に消費社会の終わりが来るのならば、ともに滅びてしまうんだろうなと。
いつか、「ああ、こういうのってあったなあ」と懐かしがる日が来るのか来ないのか…わかりませんが、それはそれで本当に寂しい。
消費社会よ、私はなんだかんだ言っても本気であなたを愛していたよ。いっそのこと心中したいほどだ。
…とかいって、消費社会って、実は何だかんだ言ってしぶとく続いてくんだと思いますけどね(笑)