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Author:beatrixxx
77年うまれ。広告業。ブログテーマは園芸→旅行へ。常にいちばんやりたいことをやる、をモットーに書き散らかそうかと思います。
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25年目のチェルノブイリ・ツアー(4)廃墟アパートメント Tour of Chernobyl 

Tue.05.07.2011 1 comments
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↑誰がいつの間に描いたのか、本当にこの街はグラフィティだらけなんですよ


チェルノブイリ原発から3km圏内の街、プリピャチ。
モニュメンタルな観覧車見学の興奮が醒めやらぬまま、私たちは近くのアパートへと向かう。

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プリピャチは、奇麗に舗装された歩道にずらっと団地群が並んでいるような社会主義的な都市だった。今回入ったアパートもそのひとつだが、よく雑誌やTVに紹介されているアパートだったので、恐らく立ち入りが許可されている物件自体が限られているのだろう。

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エントランスこそあるものの、ドアは無い。足下には瓦礫や何かの破片が散乱している。
気をつけながら私たちは中に入ってゆく。

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↑エントランスホール。

はっきりいって、いわゆる完全な廃墟だ。壁は剥げ落ちていて、所々下地のレンガが見えていたりする。
廃墟マニア、団地マニアにはたまらない場所だろうなぁと思う…(そんなんばっかり)。

R0011839a.jpg

もう動くことのないエレベーターも壊れてその姿を晒している。
しかし、ちょっと驚いたのは、このアパートはたかだか5階建てぐらいなのに、エレベーター完備だったということだ。この当時で。

今となっては、ソビエトの他都市の80年代建築事情なんて知る由もないが、この建物は、もしかしてかなりの豪華マンションだったのかもしれない。プリピャチ市の豊かさの象徴だったのかもしれない。

R0011841a.jpg
↑主を失った部屋はがらんとしている。


当然エレベーターに乗るわけにはいかないので、私たちは狭い階段を上ってゆく。作りとしては日本の団地と変わらない感じ(各フロアには廊下があって部屋が並んでいる)なのだが、しかし、この階段は怖い。足下には瓦礫が散乱しているし、第一、今にも崩れ落ちそうなのだ。もちろん経年劣化によって。

日本ではこんな危険な建物に入るツアーは絶対に許可されないだろうし、この傷み方ではウクライナでもギリギリな感じ。もってあと数年といったところかもしれない。

DSC_0217a.jpg
↑本が散乱した部屋もあった。

単身者用と思われる小さな部屋やファミリー向けの広い部屋など、アパートの中には色々な部屋があったが、どの部屋にも一切家具は無かった。
どうやら、プリピャチの街から住民の避難が完了した後、住民たちが再び戻って来れないように、軍が徹底的に部屋を破壊し尽くしたらしい。

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↑トイレが別になってるのを見ると、共同仕様なのかもしれない。そこらへんが社会主義か…

当時のプリピャチ市民のインタビューを見ていると、皆、数日間で戻ってこられると思って避難バスに乗っている。彼らは、(福島原発の避難区域内に住む人々と同様)最小限の荷物だけしか持ってゆくことを許されなかった。

そして、残された家具は盗人たちによってすっかり持ち去られてしまったらしい。まずは、金目のもの(レジスターなど)から。そして徐々に、テーブルや椅子に至るまでがすっかり持ち去られ、後には盗人にとって価値のないものだけが残された。

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↑アパートの廊下。写真は加工しているが実際はとても暗い。

すべての部屋の窓が開け放たれているのは、放射性物質の蓄積を防ぐためらしい。開いた窓からは風や雨水が入り込み、それが建物の劣化を加速させ続けている。

ここにかつては幾つもの生活があったと思うと何だか不思議な感じだ。原発労働者やその家族たちは、この新しく豊かな街で明るい未来を描いていたんだろう。
そしてプリピャチには、このようなアパートがたくさんあるんだと思う。

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↑少し大きな部屋。開け放たれた窓からは外の景色が。

私たちにはあまり時間がないので、ひとつひとつの部屋をじっくりと見て回る余裕はなかった。
急いでシャッターを切り、ツアーからはぐれないように不安定な階段を駆け上る。

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↑こういうハウススタジオあるよね、と同僚にも言われた。

上の階へ行くに従って、太陽の光が入り込み、視界がひらけてゆく。

不謹慎を承知で率直に感想を述べるが、日本では見かけないようなオサレ廃墟じゃん……少しジャンクなテイストに仕上げたヨーロッパ風カフェみたいなのである。小道具等、よく出来過ぎていてセットみたいなんだよね。
でもこれは、写真集とか撮る用に演出というかレイアウトし直したんじゃないかという可能性も否めない。実際チェルノブイリ=お洒落でデカダンな廃墟、みたいな感じで捉えた写真集とか結構あるからなぁ。私ならそんなベタなことやりたくないけど。

まあ、チェルノブイリお洒落ツアー!みたいなのが女性誌の特集になる日も近いかもしれませんね(死)。

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↑この木の写真はクーリエ・ジャポンにも載ってた。

床からは(恐らくは窓から種が飛んで来て)草木がじかに生えている。こんなところでまで自然の生命力の強さを感じてしまう。
セルビアのNATOに爆撃された廃墟ビルからもこんな風に木がにょきにょき生えてたな~。こういうのを見るのは好きだ。人間の歴史とは全く無関係に茂りまくる系。

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陽当たりの良い感じ(曇ってるけど)と植物の生命力にすっかり和んでいたら、窓からはチェルノブイリ原子力発電所の4号炉がしっかり見えた。

そうだ、ここはただのお洒落廃墟ではなく、チェルノブイリなんだ……とあらためて実感。

このフロアは最上階なのだが、時と場合とガイドによっては屋上に行ける時もあるらしい。私たちは屋上には行かず、また来たボロ階段を下り始めた。

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↑窓枠にフィルムがあったが、こういうのも演出っぽい。

そして私たちは、アパートを出る。相変わらずの緑萌ゆる景色。アパートは、本当に緑に呑み込まれようとしている。

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↑何かの花が満開だった。

観覧車にしてもそうだけど、このアパートを見学してつくづく、廃墟ってナマモノだなあ、と実感した。原爆ドームみたいに保存されているわけでもなし、このままだと風化(文字通りの意味で)の一途を辿るだろう。

チェルノブイリは待ってくれない。だから行くなら今なんだよ!




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↑アパートの近くにあった建物。入り口には原子力マークが。原発関連の施設だろうか。


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↑建物に抽象的オブジェみたいなのがくっついてるのは、社会主義圏ではありがち。

アパートを出た私たちはプリピャチの街をぶらぶらしながら、バスの方向へ歩いてゆく。

1970年に生まれ、1986年に時を止めたプリピャチ市。今は人の気配がなく、かといっておどろおどろしい恐さもなく、そこに静かにたたずんでいるという感じだ。
何も知らずに、明日からここに住め、と言われたら住めそうな平穏な空気。だから余計に、何だか不思議な気分になる。

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↑木の根本に何か花輪らしきものがあって、

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↑近づいて行ったら人形まで置いてあった。

今年はチェルノブイリ原発事故25年ということで、立ち入り禁止圏内でも式典が行われた。
また、プリピャチの元市民たちは、たまに家族でこの街に帰ってきてピクニックまでするらしい。あの観覧車がある広場も、時々は活気に満ちるようだ。
彼らは言う。「なぜ、自分の街に帰って来ちゃいけないんだ?」

同じ問いを、恐らくはFUKUSHIMAの人々も抱えて生きてゆくことになった。

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↑旧ソ連モニュメントがいちいちかっこいい。

私たちはバスに乗り、次の目的地(小学校)へと向かう。

その(5)につづく。
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