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Author:beatrixxx
77年うまれ。広告業。ブログテーマは園芸→旅行へ。常にいちばんやりたいことをやる、をモットーに書き散らかそうかと思います。
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25年目のチェルノブイリ・ツアー(3)プリピャチの観覧車 Tour of Chernobyl

Tue.31.05.2011 1 comments
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バスから降ろされた私たちは、プリピャチの路上にいた。

空は曇りで風は冷たく、単純に暗い。気分が落ちる…。ここがかの有名な廃墟だとは到底思えなかった。

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薄汚れたコンクリートの建造物を、覆い隠すかのように萌えている植物たち。

かつて、ここは原発労働者やその家族たち48000人が住む街だった。軍事機密都市として地図には載っていないが、そこには華やかで明るい人々の生活があった。ある程度優遇されていたのだろう、旧ソ連の中でも豊かな街だったんじゃないだろうか。まさかこの街からすべての人が消えてしまうなんて、誰も想像しなかっただろう。

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↑ところどころに描かれているグラフィティ。怖いよ

当時のプリピャチの写真を見ると↓その社会主義的明るさに愕然とする…
http://www.inspiration-gallery.net/2011/04/25/プリピャチの過去と現在-原発事故より25年経った/

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↑計測しているのはツアーガイドのニコライ氏

舗装されていたはずの道路には亀裂が走り、苔や草木が自由奔放に生えている。苔を踏むな、と言われる(気がついたら踏みまくってたけど)。苔は放射能を蓄積するらしい。空間線量は1μシーベルト/h以下程度でそれほどでもないのだ(今の日本政府なら安全だから避難しなくてもいいと言うぐらい)が、苔にガイガーカウンターを当てると10μシーベルト/h以上。

R0011818a.jpg


「観覧車だ!」

前方の視界がひらけ、目に入った光景に思わず声をあげた。

数々の写真集やブログでイヤと言うほど見てきた、世界中の廃墟マニアの垂涎の的(?)、チェルノブイリの象徴とも言うべきあの観覧車。
正直、これが見たくてチェルノブイリに来たようなものだ。ついにチェルノブイリに来たんだ!と体中が震えた。

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5年程前にこの観覧車をとある雑誌で見てから、チェルノブイリに行ってみたくて仕方が無かった。だけどやっぱり怖いしなぁ…と躊躇していたら、日本であんな事故が起きた。

3号機からキノコ雲が上がったのを自宅のTVで生で見ていて、電気が消えてエスカレーターの止まった東京で、セシウム混じりの空気を吸いながらも通勤し、それでも政府はただちに健康に影響ないを繰り返し、頭の中が最高に混乱していた私は、すぐにGW旅行のハンガリーをキャンセルし、チェルノブイリ行きを決めたのだった。

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すっかり錆び付いたそれは、背後から森が迫り、自然にかえっていくのも時間の問題に見えた。実物を見たらもっと存在感があるものかと思っていたが、打ち棄てられて朽ち果てた、ただの寂しい観覧車にしか見えなかった。

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↑ゴーカート

この広場には、観覧車の他にもメリーゴーランドやゴーカートなどの遊具があり、どれも緑に埋もれかけている。

後日行ったウクライナの郊外にも、似たような小さな社会主義国的ミニ遊園地があった。旧ソ連のモニュメントがあり、小さな子供を連れた家族が楽しそうに遊んでいた。そこで私は観覧車に乗ったが、もしプリピャチの観覧車が今も動いていたらあんな感じだったんだろうと思う。

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↑いまいちナゾな遊具。下にボートみたいなのがある

この小さな遊園地は、1986年5月1日のメーデーにオープンする予定だったらしい。だがその5日前の4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故が起きた。

遊具たちは一度も子供たちを乗せることなく、今もここで完全に朽ちていくのを待っている。

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↑メリーゴーランド

子供たちの代わりに、今はこうしてツアー客たちが遊具の前で思い思いに写真を撮っている。5月の新緑が、錆びた鉄製のパイプと色褪せたペンキと混じり合って行く。恐らく、この世でいちばん美しく悲しい廃墟。

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↑メリーゴーランドの椅子にはぬいぐるみが…たぶん演出てかヤラセだと思うんだが

事故当時のプリピャチを映した有名なフィルムがある(多分、NHKか何かでも流れたはず)。人々は何も知らされず、当時流行の形のコートを着て、談笑しながら通りを歩いている。きわめて平和で幸福な光景。しかし、そのフィルムはあまりにも強すぎる放射線に感光し、ところどころが青く抜けているのだ。当時の放射線量は約5mシーベルト/h程度だったと言われている。

1970年に生まれた機密都市・プリピャチは、1986年の4月26日と少ししてゴーストタウンになった。

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林(かつては林じゃなかったと思うけど)のなかには、何かのスローガンなのか、社会主義的立て看板がいくつも立っている。多分レーニンとか、そのあたりの人々の顔が描かれていたりする。
スローガン看板はキューバでもさんざん見たけど(現役のを)、こちらはもっと独特な感じのタッチ。

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↑彼は何を訴えてるんだろ

プリピャチ市は、チェルノブイリ原発事故の象徴的廃墟であると同時に、奇しくも事故の5年後に崩壊した、ソビエト連邦というひとつの大国の廃墟でもあるのだった。

(こんなこと言うとめちゃめちゃ不謹慎だけど…まじでしびれるわ!!!!キリル文字見てるだけで)

その4へつづく。
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