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Author:beatrixxx
77年うまれ。広告業。ブログテーマは園芸→旅行へ。常にいちばんやりたいことをやる、をモットーに書き散らかそうかと思います。
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25年目のチェルノブイリ・ツアー(4)廃墟アパートメント Tour of Chernobyl 

Tue.05.07.2011 1 comments
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↑誰がいつの間に描いたのか、本当にこの街はグラフィティだらけなんですよ


チェルノブイリ原発から3km圏内の街、プリピャチ。
モニュメンタルな観覧車見学の興奮が醒めやらぬまま、私たちは近くのアパートへと向かう。

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プリピャチは、奇麗に舗装された歩道にずらっと団地群が並んでいるような社会主義的な都市だった。今回入ったアパートもそのひとつだが、よく雑誌やTVに紹介されているアパートだったので、恐らく立ち入りが許可されている物件自体が限られているのだろう。

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エントランスこそあるものの、ドアは無い。足下には瓦礫や何かの破片が散乱している。
気をつけながら私たちは中に入ってゆく。

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↑エントランスホール。

はっきりいって、いわゆる完全な廃墟だ。壁は剥げ落ちていて、所々下地のレンガが見えていたりする。
廃墟マニア、団地マニアにはたまらない場所だろうなぁと思う…(そんなんばっかり)。

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もう動くことのないエレベーターも壊れてその姿を晒している。
しかし、ちょっと驚いたのは、このアパートはたかだか5階建てぐらいなのに、エレベーター完備だったということだ。この当時で。

今となっては、ソビエトの他都市の80年代建築事情なんて知る由もないが、この建物は、もしかしてかなりの豪華マンションだったのかもしれない。プリピャチ市の豊かさの象徴だったのかもしれない。

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↑主を失った部屋はがらんとしている。


当然エレベーターに乗るわけにはいかないので、私たちは狭い階段を上ってゆく。作りとしては日本の団地と変わらない感じ(各フロアには廊下があって部屋が並んでいる)なのだが、しかし、この階段は怖い。足下には瓦礫が散乱しているし、第一、今にも崩れ落ちそうなのだ。もちろん経年劣化によって。

日本ではこんな危険な建物に入るツアーは絶対に許可されないだろうし、この傷み方ではウクライナでもギリギリな感じ。もってあと数年といったところかもしれない。

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↑本が散乱した部屋もあった。

単身者用と思われる小さな部屋やファミリー向けの広い部屋など、アパートの中には色々な部屋があったが、どの部屋にも一切家具は無かった。
どうやら、プリピャチの街から住民の避難が完了した後、住民たちが再び戻って来れないように、軍が徹底的に部屋を破壊し尽くしたらしい。

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↑トイレが別になってるのを見ると、共同仕様なのかもしれない。そこらへんが社会主義か…

当時のプリピャチ市民のインタビューを見ていると、皆、数日間で戻ってこられると思って避難バスに乗っている。彼らは、(福島原発の避難区域内に住む人々と同様)最小限の荷物だけしか持ってゆくことを許されなかった。

そして、残された家具は盗人たちによってすっかり持ち去られてしまったらしい。まずは、金目のもの(レジスターなど)から。そして徐々に、テーブルや椅子に至るまでがすっかり持ち去られ、後には盗人にとって価値のないものだけが残された。

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↑アパートの廊下。写真は加工しているが実際はとても暗い。

すべての部屋の窓が開け放たれているのは、放射性物質の蓄積を防ぐためらしい。開いた窓からは風や雨水が入り込み、それが建物の劣化を加速させ続けている。

ここにかつては幾つもの生活があったと思うと何だか不思議な感じだ。原発労働者やその家族たちは、この新しく豊かな街で明るい未来を描いていたんだろう。
そしてプリピャチには、このようなアパートがたくさんあるんだと思う。

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↑少し大きな部屋。開け放たれた窓からは外の景色が。

私たちにはあまり時間がないので、ひとつひとつの部屋をじっくりと見て回る余裕はなかった。
急いでシャッターを切り、ツアーからはぐれないように不安定な階段を駆け上る。

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↑こういうハウススタジオあるよね、と同僚にも言われた。

上の階へ行くに従って、太陽の光が入り込み、視界がひらけてゆく。

不謹慎を承知で率直に感想を述べるが、日本では見かけないようなオサレ廃墟じゃん……少しジャンクなテイストに仕上げたヨーロッパ風カフェみたいなのである。小道具等、よく出来過ぎていてセットみたいなんだよね。
でもこれは、写真集とか撮る用に演出というかレイアウトし直したんじゃないかという可能性も否めない。実際チェルノブイリ=お洒落でデカダンな廃墟、みたいな感じで捉えた写真集とか結構あるからなぁ。私ならそんなベタなことやりたくないけど。

まあ、チェルノブイリお洒落ツアー!みたいなのが女性誌の特集になる日も近いかもしれませんね(死)。

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↑この木の写真はクーリエ・ジャポンにも載ってた。

床からは(恐らくは窓から種が飛んで来て)草木がじかに生えている。こんなところでまで自然の生命力の強さを感じてしまう。
セルビアのNATOに爆撃された廃墟ビルからもこんな風に木がにょきにょき生えてたな~。こういうのを見るのは好きだ。人間の歴史とは全く無関係に茂りまくる系。

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陽当たりの良い感じ(曇ってるけど)と植物の生命力にすっかり和んでいたら、窓からはチェルノブイリ原子力発電所の4号炉がしっかり見えた。

そうだ、ここはただのお洒落廃墟ではなく、チェルノブイリなんだ……とあらためて実感。

このフロアは最上階なのだが、時と場合とガイドによっては屋上に行ける時もあるらしい。私たちは屋上には行かず、また来たボロ階段を下り始めた。

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↑窓枠にフィルムがあったが、こういうのも演出っぽい。

そして私たちは、アパートを出る。相変わらずの緑萌ゆる景色。アパートは、本当に緑に呑み込まれようとしている。

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↑何かの花が満開だった。

観覧車にしてもそうだけど、このアパートを見学してつくづく、廃墟ってナマモノだなあ、と実感した。原爆ドームみたいに保存されているわけでもなし、このままだと風化(文字通りの意味で)の一途を辿るだろう。

チェルノブイリは待ってくれない。だから行くなら今なんだよ!




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↑アパートの近くにあった建物。入り口には原子力マークが。原発関連の施設だろうか。


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↑建物に抽象的オブジェみたいなのがくっついてるのは、社会主義圏ではありがち。

アパートを出た私たちはプリピャチの街をぶらぶらしながら、バスの方向へ歩いてゆく。

1970年に生まれ、1986年に時を止めたプリピャチ市。今は人の気配がなく、かといっておどろおどろしい恐さもなく、そこに静かにたたずんでいるという感じだ。
何も知らずに、明日からここに住め、と言われたら住めそうな平穏な空気。だから余計に、何だか不思議な気分になる。

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↑木の根本に何か花輪らしきものがあって、

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↑近づいて行ったら人形まで置いてあった。

今年はチェルノブイリ原発事故25年ということで、立ち入り禁止圏内でも式典が行われた。
また、プリピャチの元市民たちは、たまに家族でこの街に帰ってきてピクニックまでするらしい。あの観覧車がある広場も、時々は活気に満ちるようだ。
彼らは言う。「なぜ、自分の街に帰って来ちゃいけないんだ?」

同じ問いを、恐らくはFUKUSHIMAの人々も抱えて生きてゆくことになった。

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↑旧ソ連モニュメントがいちいちかっこいい。

私たちはバスに乗り、次の目的地(小学校)へと向かう。

その(5)につづく。
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25年目のチェルノブイリ・ツアー(3)プリピャチの観覧車 Tour of Chernobyl

Tue.31.05.2011 1 comments
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バスから降ろされた私たちは、プリピャチの路上にいた。

空は曇りで風は冷たく、単純に暗い。気分が落ちる…。ここがかの有名な廃墟だとは到底思えなかった。

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薄汚れたコンクリートの建造物を、覆い隠すかのように萌えている植物たち。

かつて、ここは原発労働者やその家族たち48000人が住む街だった。軍事機密都市として地図には載っていないが、そこには華やかで明るい人々の生活があった。ある程度優遇されていたのだろう、旧ソ連の中でも豊かな街だったんじゃないだろうか。まさかこの街からすべての人が消えてしまうなんて、誰も想像しなかっただろう。

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↑ところどころに描かれているグラフィティ。怖いよ

当時のプリピャチの写真を見ると↓その社会主義的明るさに愕然とする…
http://www.inspiration-gallery.net/2011/04/25/プリピャチの過去と現在-原発事故より25年経った/

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↑計測しているのはツアーガイドのニコライ氏

舗装されていたはずの道路には亀裂が走り、苔や草木が自由奔放に生えている。苔を踏むな、と言われる(気がついたら踏みまくってたけど)。苔は放射能を蓄積するらしい。空間線量は1μシーベルト/h以下程度でそれほどでもないのだ(今の日本政府なら安全だから避難しなくてもいいと言うぐらい)が、苔にガイガーカウンターを当てると10μシーベルト/h以上。

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「観覧車だ!」

前方の視界がひらけ、目に入った光景に思わず声をあげた。

数々の写真集やブログでイヤと言うほど見てきた、世界中の廃墟マニアの垂涎の的(?)、チェルノブイリの象徴とも言うべきあの観覧車。
正直、これが見たくてチェルノブイリに来たようなものだ。ついにチェルノブイリに来たんだ!と体中が震えた。

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5年程前にこの観覧車をとある雑誌で見てから、チェルノブイリに行ってみたくて仕方が無かった。だけどやっぱり怖いしなぁ…と躊躇していたら、日本であんな事故が起きた。

3号機からキノコ雲が上がったのを自宅のTVで生で見ていて、電気が消えてエスカレーターの止まった東京で、セシウム混じりの空気を吸いながらも通勤し、それでも政府はただちに健康に影響ないを繰り返し、頭の中が最高に混乱していた私は、すぐにGW旅行のハンガリーをキャンセルし、チェルノブイリ行きを決めたのだった。

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すっかり錆び付いたそれは、背後から森が迫り、自然にかえっていくのも時間の問題に見えた。実物を見たらもっと存在感があるものかと思っていたが、打ち棄てられて朽ち果てた、ただの寂しい観覧車にしか見えなかった。

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↑ゴーカート

この広場には、観覧車の他にもメリーゴーランドやゴーカートなどの遊具があり、どれも緑に埋もれかけている。

後日行ったウクライナの郊外にも、似たような小さな社会主義国的ミニ遊園地があった。旧ソ連のモニュメントがあり、小さな子供を連れた家族が楽しそうに遊んでいた。そこで私は観覧車に乗ったが、もしプリピャチの観覧車が今も動いていたらあんな感じだったんだろうと思う。

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↑いまいちナゾな遊具。下にボートみたいなのがある

この小さな遊園地は、1986年5月1日のメーデーにオープンする予定だったらしい。だがその5日前の4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故が起きた。

遊具たちは一度も子供たちを乗せることなく、今もここで完全に朽ちていくのを待っている。

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↑メリーゴーランド

子供たちの代わりに、今はこうしてツアー客たちが遊具の前で思い思いに写真を撮っている。5月の新緑が、錆びた鉄製のパイプと色褪せたペンキと混じり合って行く。恐らく、この世でいちばん美しく悲しい廃墟。

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↑メリーゴーランドの椅子にはぬいぐるみが…たぶん演出てかヤラセだと思うんだが

事故当時のプリピャチを映した有名なフィルムがある(多分、NHKか何かでも流れたはず)。人々は何も知らされず、当時流行の形のコートを着て、談笑しながら通りを歩いている。きわめて平和で幸福な光景。しかし、そのフィルムはあまりにも強すぎる放射線に感光し、ところどころが青く抜けているのだ。当時の放射線量は約5mシーベルト/h程度だったと言われている。

1970年に生まれた機密都市・プリピャチは、1986年の4月26日と少ししてゴーストタウンになった。

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林(かつては林じゃなかったと思うけど)のなかには、何かのスローガンなのか、社会主義的立て看板がいくつも立っている。多分レーニンとか、そのあたりの人々の顔が描かれていたりする。
スローガン看板はキューバでもさんざん見たけど(現役のを)、こちらはもっと独特な感じのタッチ。

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↑彼は何を訴えてるんだろ

プリピャチ市は、チェルノブイリ原発事故の象徴的廃墟であると同時に、奇しくも事故の5年後に崩壊した、ソビエト連邦というひとつの大国の廃墟でもあるのだった。

(こんなこと言うとめちゃめちゃ不謹慎だけど…まじでしびれるわ!!!!キリル文字見てるだけで)

その4へつづく。

25年目のチェルノブイリ・ツアー(2)圏内へ Tour of Chernobyl 

Sun.29.05.2011 0 comments
tatiiri
↑画面が暗いのは隠し撮りだから(笑)


キエフを出発してから約2時間。
森林や、畑や、特に代わり映えしない景色のなかを走り続けていたバスは、突然行く手を阻まれて停止する。
30km圏内の検問だ。バスの中に緊張感が走る。

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写真は撮るな、外に出ろ。と言われた私たちはバスから降りて、一人ずつパスポートのチェックを受ける。
そして再びバスに乗り込む。この時点で、キエフの街から同行してきたツアー会社の担当者はバスを降りて、代わりに若い男性が乗り込んで来た。まだ20代に見える彼は、ウクライナの職員であり、チェルノブイリのガイド役だと言った。

ついさっきまでぼんやりと車窓のどかな景色を眺めていた私もドキドキしてきた。

ここから先は、立ち入り禁止区域。ついにチェルノブイリに着いてしまった!!!!!

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バスはゆっくりと走り出す。特段変わった風景はない。緑豊かな森林が広がっていて、死の街と言われるような不吉な感じもない。多分ここにいきなり連れてこられてもここがチェルノブイリだとは思わないだろう。

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そして私たちを乗せたバスは、比較的新しい建物の前に停車した。
洗濯物が干してあり、小さな庭には花壇があり、変なモニュメントと、「世界人類が平和でありますようにというおなじみのアレが立っている(あの団体、手広いな)。こんなところで日本語を見るとは思わなかった…
誰かに餌付けされているであろう野良猫が寄ってくる。

ここは恐らく職員用の待機場所兼、訪問者用詰所か何かなのだろう。中には数々のチェルノブイリ事故の写真と、汚染区域などの地図などの資料が展示してあった。

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汚染されて廃棄された重機の写真や、消火にあたった消防士たちの写真…皆、それらを落ち着かない様子で眺めている。
そこにガイドがやってきて、一枚の誓約書にサインするように告げた。

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敷地内の物に手を触れたり、持ち帰ったりしないこと。スカートやサンダル等、肌を露出した服装は禁止。エリア内での飲食や喫煙も禁止------------------
そんな注意事項に付け加え「万一健康被害が生じても責任は問いません。」という旨に了承したとして、全員がサインしなければならない。

皆、神妙な顔つきでサインしている。もちろん私もする。3.11以前だったらある程度恐怖を感じたかもしれないが(ていうかそれ以前にわざわざチェルノブイリに来なかったと思うけど)、正直、ぜんぜん怖くない!!そんな状況が逆に怖いけど。

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こうして、身の危険を承知で、放射能汚染地帯へレッツゴー!という想いがひとつになったところで(?)、二つ目の検問。10km圏内だ。何かいよいよモノモノしくなってきたな。

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車窓からは、生い茂る緑とどんより重い空の狭間に、発電所関連の建物が見えるようになってきた。そして、

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4号炉だ!!!

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↑思ったより低いんだけど(警報が鳴る設定が低すぎるんだと思う)

ピーコンピーコンピーコン…車内では、けたたましくガイガーカウンターが警告音を発していた。
おおっ!とおののきながら、それでも気分的には、「TVでずっと見てたあの4号炉が生で見られるなんて!」という感じに近い。
このときは、まさか後に4号炉のすぐ手前まで行けるなんて思ってなかったんだけど。

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バスはさらにどんどんと進み、初夏の緑に埋もれた道を走ってゆく。そして私たちは、ある街の中へと入る。


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↑花と犬と看板のコントラスト。(カメラのせいで色がおかしくなったが、これもまた気分)

プリピャチ市/Pripyat/Припятьだ。
チェルノブイリ原子力発電所から4km圏内の、あまりにも有名なゴーストタウン。

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↑さっきの待機所に掲示してあった、当時のプリピャチ市の看板の写真。実物は撮り損ねたが、街の出入り口にまだあった。

街のなかへ入って行くにつれ、廃墟と化した団地群と、それを浸食してゆくような樹々や雑草が目に入る。かつては整然と整備された道に沿って、街路樹として植えられていたであろう植物たち。


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プリピャチ市の真ん中で、バスは停まる。ここからアパートや遊園地を観に行く、とガイドは言う。私たちは全員、バスから降りて歩き出した。あの観覧車は観れるんだろうか、と期待に胸を弾ませながら。

(その3に続く)

25年目のチェルノブイリ・ツアー(1)Tour of Chernobyl

Mon.23.05.2011 0 comments
「なんでチェルノブイリなんかに行くの?」
チェルノブイリツアーに行く、と言ったらそんなことを訊かれた。
が、逆に訊きたい「なんでチェルノブイリに行かないの?」


2011年3月下旬、あらゆる憤りと絶望と悲しみが渦巻き、頭の中がパチパチして眠れなかった。

それまで、GWにはハンガリーに行く予定でチケットをとっていた。ハンガリーにはゆるい温泉があるというし、ブダペストもきっとロマンチックな街だろう。
だけど、とてもそんな気分になれなかった。私達はすぐに行き先を変更し、トルコ航空イスタンブール経由でウクライナ・キエフまでのチケットを買った。そうでもしないと気が収まらなかったからだ。

5月某日。私達は成田を発ち、イスタンブールへと向かう。ほぼヨーロッパみたいな、とても華やかな街だった。一泊したのち、キエフへ。キエフも思っていたよりずっと華やかな都だった。

キエフ到着の翌日、集合場所のホテルの前へ。天気は曇り。前日は日本と同じくらい暖かかったのに、今日はかなり肌寒い。驚くべきことに、そこには大勢のツアー参加客が既に集まっていた。

shuugou

皆、世にもビザールな(と紹介されている)「Chernobyl Tour」の参加者なのだ。一人一枚ずつ(万一何かあった場合に数十万の金がおりるw)保険の証書を受け取ったあと、バスに乗り込む。

shuugou bas

バスは、ヨーロッパ的華やかさに満ちたキエフの町並みを通り抜け、郊外の社会主義国じみた団地群を通り抜け、次第に、小さくささやかながら幸せそうに見える家々と、だだっぴろい畑が広がる田舎へと走ってゆく。

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バスの中では、チェルノブイリのドキュメンタリー映像が繰り返し流れている。

outi

なぜか冷房がかかっているのか、カーディガンの上にウィンドブレーカーを着ているのに凍えそうなほど寒い。隣の席の老夫婦はブランケットをかぶっている。ビデオの映像は調子が悪いのか、何度も同じところで止まり、また最初から始まる、を繰り返す。

そろそろチェルノブイリが近いだろう、そう思っても、外の景色はさほど変わらない。田舎の小さな町で、人々がバザールで買い物をし、家畜が野に放たれていた。ガイガーカウンターの値にも大きな動きはない。

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キエフからチェルノブイリまでは、約2時間。約100kmあまり。
福島第一原子力発電所から、茨城県日立市ぐらいまでの距離だ。

(2)につづく。

セルビア黄金週間(6)さよなら、ベオグラード

Sun.31.05.2009 2 comments
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ドイツ車とグラフィティ(“YUGO”が無い!)

さて、セルビア旅行のお話もいよいよ今回で最終回(ゴールデンウィークの話なのにもうすぐ6月ですし…)。こうしてる間にもベランダの植物たちがぐんぐん成長しております…先週は深夜残業続きで何もできなかったのだが、早く書いてしまわねばやばい!

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↑目抜き通り。高い位置にも植木鉢が取り付けられている(特殊な機械で水をやっていた)

2日ぶりに帰って来たベオグラードは、ヨーロッパの牧歌的風景だったウジツェやヴィシェグラードとは違って、もう本当にヨーロッパの都会だった。

晴天のもと、多くの人々が歩いていて、買い物をしたりカフェで語らったりしている。2日前に来たときよりだいぶ日中は気温が高くなっていて、人々はもう夏のような、リゾートみたいなワンピースとかでこの暑さを謳歌していたりする。

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↑街頭で売られている色とりどりのアイスクリーム

それにしてもセルビアの人々は、皆モデルみたいなルックス。顔も彫りが深いし、9頭身はあるんじゃないかと思うほど背が高い。最近は世界的なファッションショーでも東欧出身のモデルが多くなってきているけど、確かに、今まで行った国の中で一番女性が奇麗な国だと思う。男はちょっといかつく見えるけど…。

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↑カフェで昼間っからくつろぐ人々

あらためてここはヨーロッパの都市だなぁ、と思った。
ボロボロの建物と、社会主義時代に建てられた建物と、真新しい建物が混在していて、いかにも「東欧の都市」ではあるんだけど、それでも通りの感じなどは、別にここがロンドンだと言われても信じてしまいそう。

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↑DEPECHE MODEが来るというポスター…(やはりNWが似合う都市)

歩行者天国である目抜き通り、クネズ・ミハイリヴァ通りを抜けて、私たちは、ベオグラードで一番の観光スポット、カレメグダン公園へと向かった。

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↑入り口まで行く通りには土産物屋が並んでいる

カレメグダン公園は、30ヘクタールもの敷地を持つ、セルビアでも有名な公園だ。すれ違う人々も、明らかにセルビア人だけではない。世界中から、老いも若きも大勢の観光客が訪れている。

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↑公園に入ったところ。植生がキレイに整えられている

ここには中世の時代からの要塞跡や、戦争博物館、動物園などもあり、高台なので見晴らしがいいこともあって、人気があるのだ。
園内にはあまりにも平和な空気が流れていた。アイスクリームを食べ食べ、散歩する。

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絶景なり!  …といっても視界にはボロい建物も入るんですが

カレメグダン公園の人気のひとつは、その眺望にある。
ドナウ川とサヴァ川の合流地点に位置していて、高台からはベオグラードと、優雅に流れる川の姿が見渡せるのだ。

崖っぷちの石段には、中高生みたいな男子たちが上半身裸になって騒いでたり、ドイツ人っぽい夫婦がいたり、ベビーカーを押した子供連れのファミリーがいたりと、まさに幸せな光景。アジア人だということでどこでもジロジロ見られて随分居心地の悪い思いをしたが、ここではそんなこともない。

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↑要塞のなかで小さな子供が遊んでいる

しばしのんびりとした気分で公園内を歩く。なにしろ、とーっても広いのだ。

そして、ベオグラードという都市について思いを馳せた。古くから大都市として、ユーゴスラビアの首都としても隆盛を誇り、とはいえ幾度となく戦火に包まれ、そしてほんの10年前にも、空爆で街じゅうを破壊された都市。

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↑石垣の隙間に生えてた雑草(ヴィシェグラードでも同じのを見かけた)タチツボスミレの仲間かな?

そして今、ユーゴスラビアは存在しない。西側にも近くいち早く独立したスロヴェニアや、観光資源の豊富なモンテネグロやクロアチア(現在、団塊世代向けのツアーとかがありますからね…)に対して、セルビアは置いてかれたように思える。ベオグラードという、かつての都を抱えたまま。

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↑崖の下を見下ろすとポピーの色鮮やかなオレンジが眩しい

しかしここにいると、そんな悲劇の歴史なんか微塵もないように思えるほど、人々が幸せそうに見えた。みんなこの公園が大好きなのだ。朝も昼も夕方も賑わっていて、何本もの木が風にそよぎ、芝生の上では犬が死んだようにゴロンと横になって眠り、ベンチでは人々が談笑している。

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↑戦争博物館があります、みたいな表示かな?

私は、ベオグラードに来るまで、ベオグラードの印象なんか微塵もなかった。はっきりいって、ゴールデンウィークに東欧へ行きたいなと思って、安いアエロフロートの乗り継ぎ的に一番時間を有効に使えそうだったのがベオグラードだったのだ(会社員なら解るはず、この時間も金もムダにできないGWの旅行!)。正直、大して楽しみにも思っていなかった。

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↑例の、ドナウ川とサヴァ川の合流地点 夏は川沿いに店や屋形船(?)が出たりするらしいが、臭うらしい

そもそもベオグラードの前評判を調べると、「バックパッカーがスルーする(ほど退屈で見どころのない)街」とか、ロクなのが出てこない。適度に都会でもう西側と変わりなく、東京から行っても大して刺激もないんだろうなと思っていた。

しかし……
確かに、ある点ではここはとてもヨーロッパ的な街だけど、この感じは何なんだろう。東洋人と一人も出会わなくて、社会主義的な建物が残っていて、やっぱりボロい建物もあって、そして、ありえないぐらいに人々が幸せそうで。

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↑要塞の中庭みたいな場所、太陽の下に並んでいる各国の戦車

この公園には数々の戦車や武器が展示されていて、砲台に上って嬉しそうに記念写真撮ったりしてる奴(西側から観光に来たっぽい)とかもいて、思わず笑ってしまう。

10年前に行ったプラハは、中世の暗さに旧社会主義の暗さが混じったような、でも徹底的に美しい、絵本のような(&文化的な)古都だという印象があった。ベオグラードは、社会主義の暗さと人々の明るさと、破壊と再生を繰り返した埃っぽさと、何より変わりゆくダイナミズムみたいなのが満ちていて、ものすごく混沌としている。

私たちは公園を抜けて、脇にある動物園へ入った。ここは、後で知ったのだが、映画「アンダーグラウンド」の撮影にも使われた場所だった(映画を見返して解ったけど、鳥類の檻のあたりとか)

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↑なんで一緒に鶏(この鶏はダルメシアン柄がお洒落なんでペット用品種だと思うけど…)?

この動物園が、ひとことで言うと大変ユルかった。まあユルいんだろうなと想像していたけど、それ以上だった。

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↑ライオンの世話しながらケータイで何か喋ってる飼育係

展示されている動物はさほど日本と変わらないのだが、草食動物(シカ類とかヒツジ類とか)の檻には、必ずニワトリが一緒に入れられているのである(笑)しかも、何てことないフツーのニワトリが。

おそらく掃除役として入れられてるんだろうが、ニワトリに目が行って目が行って、動物どころじゃなかった。さんざんセルビアの田舎町でニワトリを飼ってる家を目にしたせいもあって、私の中ではセルビア=ニワトリの国という印象が強い…

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↑お洒落な松が生えてたんで撮ってみました セルビアはやっぱ針葉樹の種類が多い

動物園はさすが子供たちで賑わっていた。やはり、戦争をしていた国だからか、こっちに来てやたら子供連れの幸せそうなファミリーを目にする機会が多い。

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↑そして、水鳥の檻には大量の亀が…これも掃除役か?にしても何匹いるんだつーの

それから動物園を出て、街なかのカフェでイタリアンを食べたり(真っ当な、ちゃんとしたイタリアンだった。旧ユーゴにはフランスやイギリスっぽい物は皆無なのだが、イタリアとスペインの影響はなぜか強い気がする)、ちょっと買い物したりして歩き回った。

大学の近くにはたくさんの学生が楽しそうに活発に歩き回っていたり、コンビニで買い物するだけでもお客さんとレジの店員との世間話みたいなやりとりがあったり、とにかく、笑顔の絶えない街なのである。

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↑パン屋のショーウインドーなのだが…セルビア人がそんなに亀好きとは…

朝から炎天下を歩き回って疲れたのでホテル・モスクワに帰って昼寝し、そしてまた街へ出てトラムでカレメグダン公園の周りとかを意味なく一周したりして(トラムのチケットは街中にあるキオスクで買い、車内でガシャンとパンチする機会でペラペラの切符に穴を開けるのだが、タダ乗りしてる人が多い模様…)気づいたら夕方。

買い物した荷物を置きにホテル・モスクワでくつろいでいたら、驚いた。
大音量で音楽が聞こえて来たのだ!!!

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↑なにごと?と思って覗いたホテルからの景色

それは、大音量でガンガンに鳴らされる普通のハウス・ミュージックだった。どうやら下の路上で誰かがターンテーブルを出してDJをやってるらしい(どっかの店のイベント?)
思えば、この国ではいつも音楽が鳴っていた。ウジツェへ向かう電車の中でも、ベオグラードへ向かうバスの中でも、いつもこんな四つ打ちのダンスミュージックが鳴ってるのだ。

やがて路上のDJは、NEW ORDERの「BLUE MONDAY」のリミックスをかけた。

私は、なんか物凄く驚いた。というか感動した。こんなに「BLUE MONDAY」が似合う都市があるだろうか?何となく思っていた、80年代NWが似合いそう…っていう感じが、ここに来て実証された。

とにかく、早く外に出なければ。

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↑慌てて歩いてたのでブレブレ

そうだ、今日は金曜の夜だった。どこから集まって来たのか、物凄い数の人々が路上に溢れていた。老若男女問わず、人々がベオグラードの夜に繰り出している。

後でwikipediaを見て知ったのだが、ロンドンのTIMES誌によると、ベオグラードは「ヨーロッパで最高のナイトライフの街」らしい。本当にそうだ。最高の夜が来た!!!体じゅうが震えた。

私は、この旅行でいちばん高揚していた。こんなにHAPPYな夜があるだろうか?
目抜き通りを人々が行き交い、女の子たちは精一杯お洒落してさっそうと歩き、そんな女の子たちをナンパする男の子がいたり、お洒落な通りではワインバーやオープンカフェなどで大人たちがくつろぎ、おじさん達が久々の再会なのか通りで立ち話をしていたり、路上では化粧品の実演販売が行われてたり、そしていつまでも音楽が鳴り続けているし、とにかくそこには物凄い熱気があったのだ。金曜の夜を待ちわびていた人達の熱気。

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↑噴水のまわりでたむろする人々

私たちは、ちょっと高級住宅地っぽい一角のカフェ(生演奏などがある)で食事をして、美味しいワインを沢山飲んだ。そしてトイレで並んでいたとき、横にいたちょっと年下ぐらいのパンキッシュな女の子が私を例の視線でジロジロと見回したので、私は思わず声をかけてみた。

ベオグラードに住んでるの?と聞くと、女の子はちょっとだけ驚いたようにYES、と答えた。私は東京に住んでいて、ここには初めて来たんだけど、とても素敵な街だね!
その途端、女の子はとても嬉しそうな顔になって、サンキュー、エンジョイ!と笑って言った。

ここ数日こっちに来てから、よそ者に対する好奇の目や、中国人!とからかうような視線や、あるいは逆に見知らぬ私たちに対する掛け値無しの親切や、フレンドリーな態度などがごちゃごちゃになっていて、正直めんどくさいというか、妙な居心地の悪さがずっと続いていたんだけど、彼女の笑顔で一気に晴れた。

その夜は本当に最高だった。お酒も食べものも美味しいし、店を三軒はしごして、私は心底満たされた気分になった。金曜の夜、最高の夜がこの街に降りて来て、誰もをHAPPYにしている。

ベオグラード最高!
私はこの街の悲劇の歴史を身を持って知ることなんかできないただの旅行者だけど、本当にこの街が大好きだよ。

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翌日の朝、パン屋さんでバルカン名物(?)の白パンを買い(ここの店員さんが超かわいかった。そんでやっぱ、客と普通に世間話をしていた)、お土産屋さんで、I LOVE BEOGRAD!という言葉が何カ国語でも書かれたカバンを買ったりして(いやげ物的なもんじゃなく、この店にはかなりデザインされててお洒落な小物が揃っていた)、空港へ向かった。ホテル・モスクワの従業員がタクシーを呼んでくれ、別れ際にもとても丁寧な対応をしてくれた。

そして、私たちはベオグラードを発ったのだ。さよなら、セルビア、さよなら、ベオグラード。本当に、旅行に来てこんなに去り難い気持ちになったのは初めてかもしれない。

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↑これはちなみにモスクワ上空。撮っちゃいけないらしいけど皆撮ってたんで…

たぶん近いうちに、私はまたこの辺りを訪れると思う。


この旅行記は、これで終わり。旅に終わりはないけどね。



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ミキ・マノイロヴィチラザル・リストフスキー

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(ネタバレ含みます。)この映画を初めて観たのは、もう13年ほど前の上京したてだった頃、確か渋谷のシネマライズで観たのだ。当時から、この音楽が頭に残って、映像とかキャラクターとか、もちろん歴史の重みとか含めて、ひどく濃い映画だな~という印象だった。

そして再び、最近また観直してみた。やっぱりとても濃い映画だった。まるでセルビアの肉料理みたいに。
夢のようで、狂騒的で、ユーモアが効いていて、そしてとても哀しい。マルコが高田純次に似過ぎてるのだが…「むかし、ある所に国があった…」という言葉、そして晩年のイヴァンが地下道で「ユーゴスラビア?もうユーゴスラビアなんか無いよ。」と言われる場面、「兄弟が殺し合うなんて地獄だ」という言葉、今となってはマジで涙が出る。

舞台はベオグラードで幕を開け、第二次世界大戦やティトーの葬式などの実際の映像が挿入されてたりするのだが、そんな事実以上にキャラやストーリーや映像などがやっぱり濃くて映画的にも最高でよく出来ていて、だからさらに哀しくなってしまうのである。人々がどれだけあの歴史の中で振り回されて、そして生き抜いたのか、そして現在のベオグラードの様子と重ね合わせると…。

ラストシーン、大地からひとつの国が島のように切り離されて流れていくところ。音楽は相変わらず鳴り続けていて、狂騒の宴はまだ続いている。そして映画公開後、ユーゴは本当に完全に崩壊して、セルビアもモンテネグロの独立によりただひとつの小さな国になった。

これからセルビアが、ベオグラードがどうなっていくのか、私には到底予想がつかないけれども、あの幸せそうな人々の笑顔を観ていると、そんなことどうでもいいんじゃないかとさえ思えてくる。ベオグラードはもうかつてのような大国の首都ではないけど、あの街からは絶対に何かが生まれる、そんな感じを全身で感じたからだ。間違いなくベオグラードは、2009年現在、世界一面白い都市のひとつだと思う。

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